他の気持ちはさておき、感謝だけは伝えたほうがいいよ
と思う出来事があったので、技術エントリーじゃないですけど書いておきます。
「出会いと別れの時期」といえば3月4月を連想することが多いと思いますが、私のまわりでは今がそのタイミングだったりします。
先日も海外に転勤になる友達の壮行会で集まったら、集まったメンバーの中に今秋東京へ行くことが決まった人がいました。かくいう私も7月で今の職場を退職し、8月から新しい場所で働くことが決まっています。
「みんな変化するんだなぁ。」
誰かがそんなことをつぶやいてました。そう、みんな変化するんだ。
自分の退職について進んで人に話しはしませんでした。隠してはいなかったので聞かれたら素直に答えてましたが。
これについて特に理由はありませんが、しいていうなら「有名でもなんでもないただのSEが辞めることをあえて自分から触れ回る必要もないのでは」と思ったからです。
知らなくて誰も困らないでしょうし、時が来ればみんな自然に知るでしょうし、という気持ちです。
そして最終出社日が近づくにつれ除々に周知されていくわけですが、思いがけなく色々な方にお言葉をかけていただきました。その時に、
感謝の気持ちを伝えてもらうということはこんなにも嬉しいことなんだな
というのを感じました。
最後だからこそなのか、最後じゃない日々の中では伝えそびれてしまうような感謝、期待、さびしさ、応援の入り混じった言葉をたくさんかけていただきました。
逆に言うと、こういうふうに思っていてくれてたんだなぁ、こんなふうに自分は役に立っていたんだなぁというのを、最後になるこのタイミングまであまり実感することなく過ごしてきたということになります。
これに関してはすごくもったいない気持ちがあり、自分の働きが誰かの役に立てているんだということを日々感じながら過ごせていたとしたら、自分の選択はまた変わっていたかもしれません。
これまで私も照れくさい気持ちがあったり、私からの感謝なんてそもそも欲しがってないのではという自虐的な想いもあったりで感謝を人に伝えるということを積極的にしてきませんでした。
ただ、「自分が誰の役に立っているのか」「なにかに貢献できているのか」というのが仕事に対するモチベーションの維持や自分の存在意義を確かめるきっかけになり得るとしても、それを自分ひとりで実感することはあまりにも難しく、だからこそ誰かからかけてもらう言葉が大切なんだと思います。
なにより、私自身そういう言葉をかけてもらい心から嬉しかったし、自分一人では感じることのできない気持ちに気づかせてもらうことができました。
と同時に、もう少し日常的に実感できていたらなぁという後悔もあります。
もしも、誰かに対する感謝の気持ちを日々持っていながらもなんとなく伝えられていない人がいれば、然るべきタイミングで伝えるのではなく普段から伝えてあげてほしいなぁと思いました。
その人が近くにいるうちに。